県営名古屋空港の「なう」をご紹介します。JALの経営破たんによるグループ会社「ジェイエア」の撤退、「FDA(フジドリームエアライン)」の拠点化を経て、小型コミューター空港として山あり谷ありの経過を歩んできた県営名古屋空港。そして2015年1月5日、名古屋空港に隣接する工場でのMRJ製造を踏まえ、新たに「三菱航空機」の本社が移転してきました。
 一時は国内線定期便絶滅の危惧さえあった県営名古屋空港でしたが、FDAの定期便による利用者数も年間70万人を超えました。加えてこれからMRJの製造が本格化すれば、納入前の試験飛行など今よりもさらに航空機の離発着が増え、ますます元気になってくれることでしょう。

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★「名古屋空港のあゆみ」写真展

  

現在、3階展望デッキ前待合室で、「名古屋空港のあゆみ」写真展が開催されています。

展示期間が1週間と短いのが残念。

まずは昭和30年代の懐かしい写真から。

私が生まれる前なのでちょっとわかりませんね。

この頃からはよく知っています。

平成に入ると国際線開設ラッシュでした。

私もこの頃からです海外に出かけるようになったのは。

そして新国際線ターミナルビルが完成し・・・

わずかその5年後にセントレア開港。

複合商業施設「エアポートウォーク」としてリスタート。

この頃はJ-Airが就航していましたね。

JALの破たんでJ-Airが去り、FDAが就航。

MRJが初飛行したのもそろそろ昔ばなし。

FDAが来てくれなかったら今はないです。

昭和57年はまだ誘導路が少ないですね。

ここからは愛知県のPRポスター。

FDA就航地PRポスター。

そして愛知の観光PRポスター。

 2022年3月24日(木)から31日(木)までの1週間、3階展望デッキ前の待合室において、「名古屋空港のあゆみ」写真展が開催されています。写真パネルは全部で13枚あり、その中に昭和30年頃から現在に至るまでの、名古屋空港の写真が入っています。

 私が初めて名古屋空港から飛行機に乗ったのは、確か昭和56年だったと思うので、現在の国内線ターミナルビルができて間もない頃だったことになります。初めて国際線に乗ったのは平成5年だったでしょうか。正確にはこのときは国際線として運航されていたJALのナゴナリで成田に行ったので、純粋に国際線に乗ったのは翌年のホノルル便だったでしょうか。

 こうして名古屋空港の歴史を写真で振り返ると、かつての国際線就航ラッシュやセントレア開港に伴う旅客便の移動。100人乗り以下の小型機によるコミューター空港としての再出発や、JALの破たんによりJ-Airが去って代わりにFDAが就航。いろんなことがありましたね。とても懐かしく思い出しながら、写真を拝見してきました。




★2022年3月8日、半年ぶりに名古屋空港にやって来ました

  

半年ぶりの名古屋空港でしたが、ちょうどまたワクチン接種会場になったばかり。

バスのりばは接種会場への送迎バスでいっぱい。

先回と同じく南階段が接種会場へのルート。

ただでさえ日中は便数の少ない名古屋空港なのに、まん延防止で運休便が発生しているために、ますますガランとしていました。

到着口の待合イスもこのとおり。

当然ですが1階の出発フロアを歩く人もまばら。

レストラン「つばさ」はお昼どきだけ空港関係者で列が出来ていました。

愛知県のおみやげショップ「まるっと!あいち」。

名古屋土産とFDA就航地の名産品を販売しています。

そして2階の大規模接種会場入口。

以前と違い、接種に訪れる人の姿はまばら。

展望デッキに出てみました。変ったところはスポット13付近の舗装が新しくなったことくらい。

 2022年3月8日(火)、久しぶりに休暇をとって名古屋空港にやって来ました。特に目的があったわけではなかったのですが、HPの更新と久しぶりの戦闘機の爆音に痺れてみようと思ったのです。しかし、残念ながらこの日は、三菱重工の戦闘機テストフライトはありませんでした。

 愛知県は新型コロナウイルス感染拡大により、まん延防止措置の延長を実施したため、FDAの定期便の何割かが運休中。そのため、空港ビル内はガランとしていて活気がなく、空港で働く人たちのほうが多いのではと思ったほどです。特に新しい発見はなったのですが、地元の空港ですので、もっと足繁く通ってトピックを拾うくらいしないとダメですね。

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